第1章 コンプレックスだらけの小学生時代

 

目次

第0章 川畑はどうして人にライティングを教えられるのか?

第1章 コンプレックスだらけの小学生時代 ←今ココ

第2章 決意の大学バスケとネットワークビジネス

第3章 深まる疑いと、答えを教えてくれたバリ島

第4章 自分にしか作れない世界と、ライティングの可能性

 

 

第1章 コンプレックスだらけの小学生時代

 

こんにちは。

Wlitiny代表、ライティングプロデューサーの川畑です。

 

今日は、第1章ということで、僕の少年時代のお話をしたいと思います。

何故ならば、僕が元々文章を書くのが得意な理由は、小学生時代にあったからです。

 

1992年8月24日、僕は神奈川県で産まれました。

両親の話を聞くと、その時の僕は毛むくじゃらだったみたいです(笑)

 

毛むくじゃらな僕は両親に大切に育てられ、小学3年生まで神奈川で暮らしていました。

幼少期の頃の僕は、どうやら言葉の発達が普通の子たちより遅かったみたいです。

 

時は流れ、小学3年生の時。

僕はどうやら普通の人たちと、なんか違うんじゃないか?という自覚が芽生え始めました。

 

普通とどう違ったのかと言うと、怒っちゃう自分を制御できないんですよね。

いわゆる、「カンシャク持ち」ってやつです。

このカンシャクが、かなり酷かったんですよね。

 

カンシャクを起こすのは、ほぼ毎日でした。

学校の授業中とかになんか気に入らないことがあったら、すぐ暴れてしまうんですよね。

その時のおきまりのパターンが、目の前の机を「ガターン!」ってひっくり返しちゃう、というものです。

 

で、そのまま黙りこくるか、学校を飛び出して家に走って帰るかのどっちかでした。

まぁその時に学校を飛び出して帰っても、家は大抵留守なので入れなかったんですけどね。笑

 

そしてしばらくしたら先生が迎えにきて、いろんなおしゃべりをしてからお家に帰る。

っていう流れがおきまりでした。

 

今はもう克服したので大丈夫ですが、当時はこの全く抑えられないカンシャクにめちゃくちゃ悩まされていました。

そりゃ悩みますよね。

いつカンシャクを起こすかわからない人を、遊びに誘ったりとかはしないじゃないですか。

 

友達と仲良くドッヂボールしたり、遊戯王カードで対戦したり、ゲームでワイワイやってても、どっかのタイミングで僕がいきなり怒り出して、楽しく遊んでる空気を台無しにしちゃうんですから。

そんなカンシャクを起こす自分が、本当に嫌でした。

 

小学校4年生の頃は、保健室登校でした。

その時何故かやたら分数の計算にハマってて、ひたすら自分で問題を作っては解いていましたね。笑

保健室に通ってたおかげもあって、4年生の時は一度も学校を飛び出すことはありませんでした。

 

しかし、小学高5年生に上がると、再び普通にクラスの人たちと同じように学校に通ったわけですが、やっぱそうなると、学校を飛び出しちゃったのです。

けど、その時の担任の先生はすごくいい先生で(もちろん他の学年でもいい先生でしたよ)、本当に僕のことを一生懸命考えてくれていました。

 

その5年生の頃のことで、とても印象に残ってるエピソードが1つあります。

当時同じクラスに、たぶん僕と同じ感じの、ちょっと変わった女の子がいたんですよね。

で、その子と大げんかしてた時です。

お互いにカンシャクを発揮してたので、どっちも叫ぶわ大泣きするわで大騒ぎでした。(なんで喧嘩したのかまでは、ちょっと覚えてないですが。笑)

 

大騒ぎになったもんなんで、先生がやってきて仲裁に入ってくれたんですよね。

それで1人ずつ呼び出して、先生と個室に入って、1対1で話し合う機会を作ってくれました。

 

僕は自分がカンシャクを起こしてしまったことがすごく悔しくて、先生と話しながらボロボロと涙をこぼしていました。

ちょうどその時手元に持っていたCD入りのケースを、今にも割ってしまいそうなぐらい強く握ってたら先生が、

「それ持ってたら、そのCDケース割っちゃうんじゃないの?今はとりあえずしまいなさい。」

と言われ、確かに、と納得した僕は机の中にそれをしまいました。

 

ただ、手元にあったCDケースは机の中にしまったとしても、ムシャクシャしてて、また今すぐにでもカンシャクを起こしてしまいそうな気持ちは、変わらなかったんですよね。

僕はただひたすら、拳を握りしめて気持ちを抑えつけながら、涙を目にいっぱい溜めたまま俯いていました。

 

すると先生は、そんな僕にこう強く言ってくれたんですよね。

 

「悔しかったら、あの子(喧嘩した女の子)ぐらい越えてみろ!本気で自分を変えたかったら、それぐらいのことやってみせろよ!」

 

その前後にどんな会話をしたかまでは覚えていません。

 

それでもこの言葉だけは、僕の脳裏にずっと焼きついています。

なぜなら、この言葉によって僕はものすごく大きな勇気をもらったからです。

 

何年間もカンシャク持ちの自分と戦い続けてきてて、いつこの苦しみから解放されるんだろう?という不安をずっと感じていました。

 

だから「誰かを越えなさい。」って言ってもらえたのは、いつかこんな自分から変われるのかもしれない。という希望を与えてくれる一言だったんですよね。

 

本当に、その時は苦しかったんです。

世界を見渡せば、僕よりも苦しい思いをして生きてる人はたくさんいるけど、まだ小学生だった僕にはそんなことは分かるはずがありませんでした。

「どうして俺だけこんなに普通の人と違うの?」

そんな疑問が、ずっと頭から離れませんでした。

 

カンシャク持ちの自分と、ずーっと向き合い続けてきました。

 

そうそう、高校生の頃に、初めて両親から教えてもらったんですよね。

僕がなんで普通の人たちと違ったのかを。

 

「アスペルガー症候群」っていう、一種の発達障害を持っているみたいです。

ちなみにアスぺって今じゃ15人に1人が該当するって言われてるらしく、色んな人がこの障害を持っています。

めっちゃ有名な偉人で言うと、

・アルバート・アインシュタイン

・マーク・ザッカーバーグ

・ビル・ゲイツ

・トーマス・エジソン

などなど、ちょっと一風変わった天才と呼ばれる人たちは、みんな発達障害を持っていたみたいです。

 

これを聞いた時僕は、驚きもせず、悲しむこともありませんでした。

「やっぱりね。」

という、妙な納得感があったのです。

 

そりゃそうですよね。

だって何年にも渡って、「どうして俺は普通の人とは違うんだろう。」っていう悩みを抱え続けてきたわけですから。

僕のコンプレックスの正体は、「アスぺ」だったのです。

 

この時、ひたすらコンプレックスを持った自分と向き合い続けてきて、良かったなって思っています。

なぜなら僕は、自分自身の内面で起こっている微細な変化を感じ取り、それを言葉に起こすことができるのですから。

 

少年時代にずっと自分と向き合い続けてきたから、自分が抱えてる「悩み」「不安」「恐れ」もしくは「喜び」と言ったものと、素直に向き合うことができる力を養ってきたんですね。

この自己分析能力の高さを、大学の先生や仲のいい友達からよく褒められてたのも、その証拠の1つなんじゃないかなぁと思っています。

 

 

文章を書く上では、自分の内面にある感情や考え方を「言語化する能力」って、すごく大事ですよね。

この言語化能力って、ブログやメルマガをやる人なら身につける必要があります。

なぜならブログやメルマガは、言葉で勝負するメディアだから。

 

僕が元からライティングが得意な理由は、子供の頃に「言語化」をずーっとやってきてたんですよね。

言語化とは、心と言葉のドッキングです。

 

 

もし今あなたがネガティブな感情を抱いているとしたら、こういう風に心と言葉をドッキングさせてください。

今私は悲しんでいるの?

辛いの?

それとも不安なの?

こんな風に、その瞬間の心の状態に近い言葉を、どんどん自分に投げかけていってください。

 

するとある瞬間、心と言葉が「ピタッ」と一致する瞬間が来ます。

これが、ドッキングされた瞬間です。

 

このドッキングを、僕はずーっと繰り返して来ました。

だから自分の内面で起こっている葛藤を、言葉や文章で生々しく表現することができるんですよね。

 

これが、僕がライティングという才能をいただいた理由です。

 

ただ、だからと言ってすぐに自分の才能に気づいたわけじゃないし、人生がすぐに好転したわけでもありません。

 

もっと言うと、高校生の頃「どうせ自分なんてって口癖辞めてくれない?」と言われて元カノにフラれていたぐらいネガティブでした。笑

 

そんなコンプレックスまみれの自分をどのようにして乗り越え、そして起業して軌道に乗り始めたのか・・・?

 

興味があれば、この続きをお読みください。

第2章 決意の大学バスケとネットワークビジネス